* お父さん 亡くなる *
12月1日(日) 晴れて暖かったし
ゆうちゃん 珍しく体調◎だから
あいくん サッカー練習サボって
家族で 紅葉楽しもうと
地元 京都の植物園へ行ってきました
京都行くのは 春以来
植物園満喫し 帰宅しようと
駐車場から車動かした時に
PM3:04 私のお母さんから 電話入り
「 …お父さん 救急車で運ばれて
もたない可能性
高いらしいから 早く来て 」
たまたま 久々の地元京都居てて
急な事に 心臓がバクバク
植物園から 15分ぐらいで 病院到着
病院の先生から 病状説明あり
非常に悪く危険な状態らしく
? 集中治療室→危篤な状態になった時
気管切開や心臓マッサージなど 医療駆使して 出来る限り生命持続させるか?
? 一般病棟→無理な治療せず
器具付けなくて 自然に見送るか?
先生は 早く対応したくて
急いではる様子だったけど
母+妹+弟と意見共有して 判断したい
先生には1時間待ってもらう事にした
妹に 連絡すると
嫁ぎ先の鹿児島から すぐ飛行機乗り
電話で色々話して…
弟は 出先の滋賀県から 病院到着し
母交え 話して…
結局 無理な延命治療しないでおこう
という結論になった
父は 超×超 仏教大好き♡という人で
人とは違う価値観で
かなり変わってました
自分死んだ後の希望を
幼い頃から ずっと聞かされて
無理矢理生きるのは 嫌がってた
だから そう決めた
…けど
生きる可能性少しでもあるなら
家族みんな 生きてて欲しいと
そう強く思った
でも 別の先生に お伺いすると
延命治療しても 経験上持たないと思う
そう言われすっごく苦悩した
… みんな
涙出そうだったけど
泣いても お父さん心配するだけやし
子供達+パパと いつもどおり面会した
以前より 痩せた父
酸素マスク越しに
「 お〜っ 元気してるかぁ?」と小声
子供達声掛けると 笑顔で
植物園で 撮った写真見せると
穏やかな顔して とても嬉しそうだった
その後 子供達+パパは帰宅し
私の母は 入院用意準備で帰宅
弟と二人に
痛みと寒気で 苦しんでたけれど
その度 耳の遠い父に
近くで声掛けしか出来なかった
痛み止めと使うと 意識無くなり
戻って来ない可能性が 非常に高い…と
言われてたので
体震えたり しんどそうなのは
すごく伝わってきたんだけど
それでも お父さんの口から出た言葉は
「 元気してるかぁ… 」
か細い声で 何度も言って
全く弱音吐かず 自分の気持ち言わず
そればっか言ってたのが
自分の親ながら スゴイと尊敬した
20時頃 鹿児島から到着し
母も来たので 帰宅する事にした
翌朝 ケトン食作らなアカンのと
ゆうちゃん通学する時 医療措置で
そばにいないと アカンかったから…
そのまま お父さんの側に
居たかったけど 仕方ない…
と言い聞かせつつ
翌日 朝 6時過ぎ 母から
何度か連絡あって 最後
「 今 亡くなった … 」
そう聞いた途端
見送り出来なかった事と
ゆうちゃんの事で 色々 知識あったのに
もっと 前から 助けられたんじゃあ…
近所に住んでたら 助けられたかも…
後悔 増すばかり… で 涙した
自分の事でいっぱい×いっぱい
なり過ぎてたのかも
親孝行 全然出来なかった…
そして 葬儀場運ばれるの
あっという間で 実感出来ないまま
あたふた時間過ぎ…
妹の旦那さんが駆けつけてくれました
妹の旦那さん=お坊さんです
お父さんが 「 自分亡くなった時
枕経は 妹の旦那さんに 上げて欲しい」
そう言ってたそうで
妹の旦那さん お経あげてくれはる中
一瞬 笑ってそうに見えて
涙溢れた
翌日 お通夜は 色々な人来るし
お父さんカッコよくしようと
髭カットして
弟に チーク買ってきてもらい
塗ると 可愛く笑ってる感じになって
笑ってもーた
昔 一緒に遊んだ頃の父 思い出して