* 10歳 誕生日 産まれた頃 *
今日 ゆうちゃん誕生日
もう 10歳なりました…早いっ
10年前。。。。。
晴れた寒い土曜日でした
40週の妊婦健診で
エコーで 赤ちゃん体重2,500g OK!
でも 私の血圧が高く 妊娠中毒症で
救急車で運ばれ 大阪医大着いた時には
血圧 上が220まで 上昇
光や 音の刺激も ダメって事で
顔に黒い布かぶされ 真っ暗…
何処にいるのか ? な中 エコーされ
「 赤ちゃん多くみても 体重1,700g
しかないで〜どうなってるんや」
検診受けた病院で書かれた母子手帳↓
検診で gグラム?って書く
そして 刺激少ない暗幕の部屋 で
絶対安静になりました
写真は PM3:00頃
超高血圧が 点滴しても下がらず
母子とも危ないって事で
PM10:00頃 帝王切開になりました
そして ゆうちゃん 誕生
1,704g 仮死状態
甲状腺機能低下症、口蓋裂 と分かり
パパから聞いた時は
まさか そうなると思わず ショックで
真っ暗の部屋の中で 動く事も出来ないし
泣いてばっかでした
3日後 車椅子移動で 30分
ゆうちゃんに会う許可出ました
会いたかったけど
病気の事聞き 不安いっぱいで
初めて ゆうちゃん見て
可愛いと思えるか…
自分の気持ちも よく分からない状態
いざ 対面すると
めっちゃ可愛いやーん
めっちゃ 生きるの頑張ってるやん
早く体調良くしなきゃ
と思った矢先
2日後 心臓血管 動脈管開存症が悪化で
手術しないと助からないと
国立循環器病センターへ 搬送
私も退院して 手術の時 傍にいたいと
めっちゃ直訴したけれど ダメで
国循行ったパパから
「 手術成功率50%で
体小さいから それが大変らしい 」
そう聞いて
寝てばっかり 何も出来ない…
ずっと泣いてばかり
翌日 手術は長時間掛かり成功
なのに 私は 泣いてばっか
何日続いたんやろ?
実母が心配して
仕事の合間に 京都から毎日来てくれ
ゆうちゃんの事 泣きながら話する…
が ずーっと続き
母が 座りうたた寝し始めて
私「 深刻な話してんのに
何で 寝てられんの? 」
母「 あんたの話 おもろないし 」
で グーグー寝て ビックリ
デリカシー無い このDNA
私もあるんや…と思ったら
なんでか 可笑しくて 大笑いしました
泣いて 独りよがりだったなぁ…
泣いて 周りの人迷惑かけただけやった
後悔しても 何にも無かったな…
いつか終わりはくるんだし
後悔なく 楽しく過ごせたらいいやん
母のお陰で 吹っ切れ
それから 体も 気持ちも 良くなり
暗闇の部屋から出れました
退院したら 早速 国循へ
今までの時間取り戻したくて
面会時間いっぱい毎日通い
ゆうちゃん容体安定すると
大阪医大へ 戻りました
授乳室で 面会だったから
誰もいないスキに 椅子でよく寝てて
一緒の布団で寝れるのいつやろ
と思ったもんでした
↑仲良しの看護師さんが 撮ってくれて
恥ずかしかったけど 思い出の写真
H16年4月3日退院
この頃 一番大変だったけど
たくさんのお友達
お亡くなりになったお友達との交流
病院の先生、看護師さん
いい思い出も いっぱい。。。
ゆうちゃん産まれてくれて
ホントありがとう〜っ